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大坪ユウシ 「ALARM THE GHOST TOWN」Release Interview

the giraffesのニュー・アルバム『ALARM THE GHOST TOWN』が完成した。

 

アルバム制作にまつわる話を中心に、これまでの足跡や音楽遍歴まで、フロントマン・大坪ユウシ(vo,g)のパーソナリティが垣間見れるインタビューをお届けする。

私事で恐縮だが、出会ったのはまだ大坪さんが札幌在住でバンド活動をされていた2020年1月。苫小牧で開催された別アーティストのライブに行った際の打ち上げでご挨拶した。翌年に東京のライブハウスで再会し、いただいたCD『グラスキャットのうたかた』を聴いてその音楽性に惹き込まれ、ライブに足を運んだ。ソロアルバム的な『Birthplace』でソングライターとしての才能に惚れ、本作『ALARM THE GHOST TOWN』リリースを機に、ぜひとも詳しいお話を訊かせて欲しいとインタビューの機会をいただいた。改めてその魅力を確かめることができた。

取材・文/浅野保志(ぴあ)

 

 

――ご出身は札幌とのことですが、いつまでいらしたのですか。

 

2年前くらいまでずっと札幌で、実家から出たことがなくて。初めて苫小牧でお会いしたときは実家でした。

 

――バンド経歴は。

 

the giraffesしかやったことないです。実家を出たこともない甘ちゃんだったので、売れるということがどういうことか全く考えないで、自分の音楽をずっと鳴らし続けて誰も拾ってくれないって嘆いていたみたいな…(苦笑)。音楽を始めるまでは無気力で、平凡でのんびり生きてた。夢の中に居るだけ、みたいな。どうやって食っていくのかと訊かれても、“そういうことじゃねえんだよ”って撥ね除けたり。“俺はとにかく音楽を自分の人生で一番重きを置いて生きていくのだ”ということだけは絶対誰にも邪魔されたくなくて。でも行動が伴ってなかった(笑)。

 

――東京に出るきっかけは。

 

バンドを本気でやるなら東京に行くって頭にはあったのですけど、フットワークが重くて、決め事や環境の変化が苦手で。気づいたらバンドのメンバー皆が東京に行こうと言って、俺が行かないのは嫌というか、自分が一番バンドに対して熱意を向けてなきゃ嫌だという気持ちもあったので、引っ張り出された感があります(笑)。

 

――そのときのメンバーはアルバム『グラスキャットのうたかた』の歌詞カードに掲載されている3人ですか。

 

もともと4人居て、リードギターが音楽的にうまくいかなくなって辞めることになった。実は山中さわおさん(the pillows)がプロデュースしてくれることが決まったのが、そのギターが辞めた2日後だったんです。

 

――さわおさんと出会ってプロデュースに至った経緯は。

 

元々東京に遠征ライブをしていて、縁あってArtTheaterGuildの(木村)祐介君と出会えた。その後、シュリスぺイロフとArtTheaterGuildの2マンライブのオープニングアクトに呼んでくれたんですよ。そこにたまたまさわおさんも来ていて「かっこよかった」って言ってくれて。東京に来て最初の1年間、さわおさんによく飲みに連れていってもらってて、バンドの相談も聞いてもらっていたんです。知名度も何もない状態で上京したので悩みだらけで。「ギターが辞めたことを(ArtTheaterGuildの)祐介から聞いたよ。心機一転ということでプロデュースしてやろうか」と言ってくれて。「音楽が良くても音楽業界の人間には伝わりにくいけど、山中さわおプロデュースという名前がつけば無視できないだろう、偉そうにできるぞということで(笑)。それでリリースしたのが『グラスキャットのうたかた』。

 

――僭越ながら、自分は苫小牧で初めて大坪さんとお会いしたときは、the giraffesの曲もライブも知らない状態でご挨拶して、その後、東京で再会して『グラスキャットのうたかた』を聴かせていただいたときに、とても印象に残る、記憶に残る人だなと思ったんです。言葉が巧み、とは別の部分で、人に自分を印象づける才能がある人だなと思いました。ステージに立つ人にとってそれって大事だなと。

 

嬉しいです。でもむしろ一番自信がなかったところで。作詞・作曲はずっと自信を持って武器だと思っているんですけど、人に顔を覚えられないというか…。札幌時代もメンバー皆、友達多くて覚えられているのに、自分だけ覚えられてないことが多くて。覚えてるか微妙な人に声かけて“覚えてない”って言われるのが嫌すぎて自分から行かないし、打ち上げでも残ってるのに誰とも話さないで独りで飲んでるみたいな(苦笑)。かまってもらいたいけど自分からは行かないっていう、変なプライド高いところがあったり。もっと言うと、生きていて“自分の在り方”に悩むことが人一倍多くて。“自分って何なんだろう”って。曲にして歌詞にすると言語化できてしかも自分も楽しめるオモチャになるから、安心するために自分の悩みとか言葉をずっと並べてる。売れる、売れないという話をすること自体が、邪なことっていう嫌悪感があった。でもさわおさんに会ったり、東京に来ていろんな景色を観ることで、売れることが嫌なことじゃなくて、みんなに認めてもらうことなんだと思ったら、自分の音楽をやるうえで楽しい延長線上のひとつになった。ほんとは認められたいくせに、傷つくのが怖いから、人に聴かせることも“どうせわかんないでしょ”って蓋を閉じてて。だけどそれじゃダメだなって。認められたい気持ちに素直になろう。認められに行くのはカッコ悪いことじゃないって思えた。

 

元々自分は優等生だったんですけど、もっとヤンチャなクラスの人気者になりたくて。なりたい自分と現実の自分、理想と現実のギャップがずっとあったんです。勉強が出来て家では褒められ怒られたこともなくて。だけど学校に行ったら勉強できることが小馬鹿にされる。ほんとはもっとバカだけどみんなに愛されててヒーローみたいな人になりたくて。バカになれなかったんですよね、恥ずかしくて。高校生になって折り合いの付け方がわかってうまくやってたんですけど、自分でも気づかないうちに鬱憤が溜まってて。音楽を聴くうちに自分はバンドが好きなのかなと思って。BUMP OF CHICKENとかMr.Childlenとか聴いて、探っていくうちにthe pillowsに出会うんですけど、the pillowsで自分の生き方に警鐘を鳴らされて、今のままじゃダメだと思って。自分で音を鳴らしたいと思ったのは、ビートルズの「SHE LOVES YOU」を観て、ポールとジョージがコーラスを1本のマイクでするときに、ポールがレフティ(左利き)だから右左にギターとベースが羽根みたいになるのがめちゃくちゃカッコいいと思って、初めて楽器を弾いてみたいと思った。最初の入り口はそこで、作詞・作曲とか歌を歌うなんて恥ずいから一生やらないってその時は思っていた。僕ほどバンドとかロックンロールを冷めてみてたミュージシャンはいないという自信があります(笑)。

 

高校三年生で結構進学もする学校だったから、“大学どうだ?”とか迫られるんですよ。受験模試のテストがあって急にサボったんですよね、初めて。親に内緒でなにかすることがないくらい箱入りだったのに。自転車で地図を見ながら「スタジオ ミルク」(札幌で有名なライブハウス)に行ったんです。バンドをやったこともないのに、マスターに「プロになるにはどうすればいいんですか?」と訊いたんです。「キミはどんな音楽が好きなの?」「the pillowsが好きです」「the pillowsのなにが好きなの?」。歌詞が好きだけど恥ずかしくて言えなかった。そしたら「the pillowsは歌詞が良いんだよ。もし歌詞がいいと思うなら、さわおさんみたいに曲を作ればいい」って言われて、絶対俺は曲を作んなきゃダメだ!と思って、ソングライターになろうと決めた。その頃、the pillowsが札幌でライブをやることを知って、ライブに行って帰ってきたら、俺が作った曲は俺が歌うって決めて、そこで100%決まった。生まれ変わったかのように、今までの自分とはサヨナラしようと思った。当時の知り合いからしたら、僕がバンドを始めたなんて一番あり得ないって思われてるはずです(笑)。

 

――アルバム『グラスキャットのうたかた』のあとに『Birthplace』をリリースしたのは大きいですよね。大坪さんが作った曲を、バンド形式ではなく、打ち込みだったりサンプリングを使ったソロ作品テイストなアルバムで。

 

もちろんthe giraffesというバンドで売れたいんですけど、そのソングライターが重要ということを示せた、ソングライターの意思、意地が出せたのかなと思います。

 

――今回リリースされたアルバム『ALARM THE GHOAT TOWN』を制作するうえでのお話を聞かせて下さい。

 

抽象的だけど、優しい好青年だって思われたくなかった。『グラスキャットのうたかた』は、シリアスめな曲が多かったから、砕けた部分や毒のある部分をもっと見せたかった。前作が俺の全てという訳ではなくて、the giraffesの側面のひとつなんだって思ったらもっと好きになることもあるはずだから。「クルエラ」という曲も、さわおさんとライブの打ち上げで話したときに「最初、そんなに印象に残った曲じゃなかったんだけど、夜寝るときにいつも頭に流れてきて、改めて聴いたらじわじわと好きになっちゃって」と言ってくれて。良いって思うまでに時間がかかった、理解するのに距離があったというのは嬉しかったです。

 

――「クルエラ」は、歌詞カードをみないで聴いたときに、“ラバーソール”と“ラバーソウル”の言葉遊びを感じられて面白かったです。

 

単語だけで面白い、目につくことも好きなんですけど、単語を切り取ったら別に普通に生活の中にあるような言葉なのに、ワンフレーズが組み合わさって、深みが生まれたり、想像を促すようなものになったらいいなって。

 

――言葉と言葉の繋ぎ方も素晴らしいですね。

 

それはめちゃくちゃ意識しています。細かいところの前後とか気にしていますし。「なのに」と「だけど」で、主張の強さが違うとか、キャラクターが変わるとか。なにより説教臭くなるのが嫌です。世の中に“優しい歌”はたくさんあるけど、手を差し伸べるような歌が“優しい”んじゃなくて、“救いはあるよ”っていうことを提示する歌が“優しい歌”だと僕は思っていて、それを歌いたいんですよ。馴れ馴れしいとか、上から手を差し伸べてくることは嫌で、そこは敏感で。救いたい人物像がいたとして、歌詞にするときは、そういう人を救うためじゃなくて、“自分はこういう救いを見つけた”ということを提示して、それだけの歌が一番優しい歌だと思っている。スポットの当たりにくい感情を言語化してやりたいです。「僕のミザリー」という曲は、3枚出したCDの曲の中で断トツに古い曲で、8年くらい前に作ったんですよ。この曲は“死にたい!”っていう人間と“強く生きていこうぜ!”っていう、その狭間を歌いたかった。歌詞に「生きてるだけだって ねえミザリー」ってあるけど、自分も死にたいって思うことあっても結局死なないじゃないですか。死にたいって言っても生きているっていう現実、それ以下のことなんてないじゃん、っていう。結局ただ生きてるだけなんだから、人生に対して期待もないよっていう意味もあるけど、でもそれ以上がみたいっていう希望を残したかった。

 

――将来的なことでなにか、思い描いていることがあれば教えて下さい。

 

将来的なことをそんなに考えたりすることがなくて、行き当たりばったり感はあるんですけど。ただ、自分と似たことで悩んだり戦ったりしてる人がいるはずだから、その人に届くまで遠くまで広めたい、それは忘れずにやっていきたい。救い上げるとかそういう気持ちを持つ気になれないけど、自分がこうやって生きてる姿をみて、その人のエネルギーになったらいいなと思います。聴いた人自身が主役になれるような音楽でありたい。辞めないことを高らかに宣言するのは、まだ何十年もやってる人じゃないし、当たり前なことすぎてなんかしっくりこない。けどthe giraffesで救われて、自分にとって必要な音楽だという人がいるなら、俺はずっとやってるよって伝えたい。

 

 

 

インタビューを終えて、大坪さんが生み出す音楽に自分がなぜ惹き込まれるのか、その一端がわかったような気がした。そのパーソナリティには複雑な感受性が同居していて、それでも表現者として貫きたい意思ははっきりしていて、そのひとつひとつに寄り添いたいと思わせる親和性があるからだ。the giraffesはその佇まいとは裏腹に、底知れぬ鋭角な才能を持っているバンドだと思った。追いかけていきたい。これからもずっと。

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